テーマ : 豊かさとはなにか
日時 : 2026年8月25日 19:30 – 21:00
会場 : 妙行寺門徒会館
豊かさとは、お金や物質的に満たされている状態。心が満たされている状態。このようなイメージされる方も多いのではないでしょうか。前回6月の哲学カフェは「AI時代の豊かさ」をテーマに選びました。そして、豊かさを考えること自体が「豊かである証拠ではないか?」というご意見もいただきました。
SNSを開くと、他人の生活が見えてしまいます。シンプルに「他人が見えるから辛いこともある」「知らない方が幸せ = 豊かなのか」というご意見もいただきました。SNSとの相性もあります。SNS疲れだったり、デジタルデトックスという言葉も当たり前にになりました。異なる世界を見ない = 知らない世界が多いほど豊かであるとも言えない。この感覚は一見難しいですね。
海外を旅したときに、観光客に食べ物を物乞いをする現地の親子がいました。母と幼い子供。子供は離乳食が必要と思われる年頃なのに、母親は観光客から貰ったであろうお菓子を与えていた。その光景を思い出すと、率直にこの親子を「豊かである」と思えるでしょうか。最低限の生活が守られていないと、豊かさを考えるハードルは高くなること。戦後の日本でも、まずはモノや環境が整えば豊かという認識だったはずです。
熊本地震後の復旧現場に赴いて、実際目にしたこと。地震で止まった水道。その壮絶さは経験しないと分からない。地震から1ヶ月を経て蛇口から水が出た光景に、涙を流して喜ばれた方もいたそうです。
精神的な豊かさは「どのようなこと」で満たされるでしょうか。人を僻むことが精神的な貧しさかと思いきや、実は自身の栄養になるかもしれない。また、他人を評価する自分は精神的に豊かでしょうか。自分の「ものさし」を持つことは大切だけど、客観的には人間の持つ「ものさしの精度」が怪しいことも理解している。いま揃うものを理解して次に進むこと。プラス思考で人と比べないことが精神的な豊かさに繋がるのでは?という発言もありました。
以前は毎晩眠る前に「まだやることがある」「私はまだ死ねない」と思っていた。その後に海外で暮らしたときには、毎晩「今日も生きることができた」と思いながら眠りについていた。
豊かさは「辿り着けない理想」でしょうか。辿り着く必要もないかもしれない。皆さんの対話を聞かせていただき、これまで衣装に「いま生きている時間を大切にしたい」と思いながら、終了時刻を迎えました。ご参加いただいた皆様、本当にありがとうございました。たにやま哲学カフェは、日頃感じる「どうなんだろう?」という問いを共有することで、年代や立場の違いを超えた対話を行なっています。
– 次回の開催について
10月27日(火)に妙行寺門徒会館にて。参加予約は「10月1日 19時30分」より、ホームページで開始いたします。ご参加をお待ちしております。


