テーマ : 働かざるもの食うべからず をどう思いますか?
日時 : 2022年12月20日(火) 19:30 – 21:00
会場 : 妙行寺門徒会館 / 鹿児島市和田1丁目4番1号

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病気や障害を抱えて、毎日懸命に生きている方々がいます。そのような中で「働かざるもの食うべからず」という言葉は、率直に怖さがあり攻撃的な印象あります。働くことができない人は、食べる権利がないのでしょうか。

困っている人がいたら「一緒にご飯食べよう」と声をかけたい。お互いに支え合いたいという対話をされた方。海外で生活された経験をお持ちの方からは「Workは働くことに限定した言葉」ではないのに、日本での意味合いが「働くこと」に傾いているいう対話など、皆さんの対話が滞りなく交わされるテーマとなりました。ポイントとしては、他人から「あの人は働いているよ」と思われることも大切なことでした。

現代においては、力のある側から対象となる人へ「行動を促すための言葉」かもしれない。生物には多様性があり、アリの集団も働くアリと働かないアリがいる。働かざるものと認識することで衝突・排除が生まれる。働かないと貢献できない社会であれば「働けないものは死んでもいいのか」と問われると違います。

個人の存在自体が社会への貢献であるから「誰でも食べていい」という方向へ対話が進みました。医療関係のお仕事をされる方は、寝たきりの患者さんから「沢山の学びを得ることができた」と話されていました。このような点からも、何故「働かざるもの食うべからず」という言葉が今日まで存在しているのでしょうか。働いても結果を残さなければ給料泥棒、会社に必要ない人間とされる、仕事を失うこともある。日本の福祉は比較的整っており「働かなくても生きていける」筈ですが、もしも誰もが働かない社会ならば、福祉を充実する財源もなくなってしまいます。

何事においても「無駄なものが一切許されない」状況は、好ましいことではありません。狩猟の時代、現代、これからの時代で「働くこと」の意味合いが変わります。マイナスよりもポジティブに、働くことを真面目に問うよりも「自分らしく生きる」ことで、必要以上に気にしないことも大切ではないしょうか。寛容で健全な社会への理解が少しでも深まることを願っています。きっと、新しい発見やチャンスも広がってくる筈ですから。

 

– 次回の開催について

2月28日(火)に、妙行寺門徒会館にて予定しております。2月1日にたにやま哲学カフェのホームページでお知らせさせていただきます。是非皆様のご参加をお待ちしております。