テーマ : 脳死問題について
日時 : 2023年2月28日(火) 19:30 – 21:00
会場 : 妙行寺門徒会館 / 鹿児島市和田1丁目4番1号

(注) 今回のYouTubeはお休みになります

 

脳死とは、脳の全ての働きがなくなった状態です。どんな治療をしても回復することはなく、人工呼吸器などの助けがなければ心臓は停止します。回復する可能性がある植物状態とは全く別の状態です。(日本臓器移植ネットワークより)

日本は「脳死での臓器提供を前提とした場合」に限り、脳死は人の死とされます。世界のほとんどの国では「脳死は人の死」とされ、大脳、小脳、脳幹のすべての機能が失われた状態を脳死としています。ご参加いただいた方々にとって「脳死」にどのようなイメージをお持ちだったでしょうか。副住職(進行担当)により、世界の事例をスクリーンに映して対話が進みました。

・脳死状態の少年が覚醒した事例
アメリカ アラバマ州の少年が交通事故で脳死状態に。しかし、医師が生命維持装置を止める寸前に意識を取り戻した。

・約4カ月脳死状態の母親が出産した事例
ポルトガルにて。母親は脳内出血で脳死宣告、胎児は健康で父親が同意したため妊娠が継続された。32週目の帝王切開で赤ちゃんは健康に生まれた。

・帆花ちゃん家族のドキュメンタリー
生後すぐに脳死に近い状態と宣告された帆花ちゃん。両親はいろんな場所に出かけていき、 絵本を読み聞かせ、お風呂に入れ、吸引をする..  帆花ちゃんと家族の時間に寄り添ったドキュメンタリーの紹介。

対話を進めるにあたり、生命倫理研究で世界的に著名なピーター・シンガー氏の意見、ハーバード基準についても説明がありました。脳死は「人の死」になるのでしょうか。本当に呼吸もしてないし、意志もない状態であるか。脳死から目覚めた事例もある中、脳死宣告では 0.000..% という僅かな希みもないのでしょうか。脳死である本人には「生きたい」という意思がなく、死にたいという意思もないのでしょうか。

脳死でも周囲の家族が「生きてほしい」という願うとしたら。人は愛し愛される家庭環境が理想ながら、同時に引っ掛かりもあります。家族同士であっても殺めたり、亡くなった人を「生きている状況」にする事例も。人間関係の損得を踏まえて「人の生死」を他人の意思で決めることは、様々な問題もあるのではないでしょうか。

人の思いや感情、脳死である事実、医学・倫理的見解、自分が脳死になったとしたらどうしたいか、自分の家族やきょうだいはどのように反応するのだろう.. 命の重さや「生きるって何だろう?」と、皆さまで対話を重ねた90分間でした。ご参加いただいた皆様、どうもありがとうございました。

 

– 次回の開催について

4月25日(火)に、妙行寺門徒会館にて予定しております。4月1日にたにやま哲学カフェのホームページでお知らせさせていただきます。是非皆様のご参加をお待ちしております。