テーマ : 運は必要なもの?
日時 : 2024年10月29日 19:30 – 21:00
会場 : 妙行寺門徒会館
くじ運、運勢。運命。仕事運。幸運。不運。天運。じゃんけん。初めに「運」という言葉が持つ印象を皆さんにお聞きしました。日常で少し良いことがあったとき。哲学カフェが身近にあって運が良かったと話される方もおられました。そして、運という形が見えないものだからこそ「運は自分自身でコントロールできるのか?」という問いが出てきます。
運を味方にするために「運を引き寄せる努力」をする。パワースポットに出かける。神社仏閣などにお参りをする。生きてきた中でも「他人がやりたがらないことを行いなさい」という言葉は、数多くの場面で耳にしたことを思い出します。同時に「他人がやりたがらないことを行うこと」は運を高めるため?結果を期待するため?見返りを期待することは不純でしょうか。
幸運は準備 + 機会で得る確率。宝くじが当たる = 宝くじを「買う」という行為が前提にあります。仮にも宝くじが大当たりした結果の散財、金銭トラブル、家族や人間関係が悪くなることもある。運の良さは「幸せな未来」に繋がるとは限らないこと。運は偶然と必然が折り重なるもの。毎日良いことばかりも嬉しい反面、不安や怖さを感じます。
トランプ氏の銃撃事件で命が助かったことは運が良かったのでしょうか。運命は少なからず変えることができるが、宿命は変えようがないとの意見もいただきました。幸いに運を受け取れる状態にあるとき、自分は「どのようなことに幸せを感じる」か。ここに「運以上の価値」が生まれるきっかけがあるのかもしれません。今回の哲学カフェ反省点として (何のために / 誰のために) 運が必要なことなのか?を対話ができなかったことがあります。こちらは別の機会にできたらと考えています。
目指すものが大きくなる程、運が味方するウェイトも比例するのか?期待した場面で運がなかったとしても、数多くの機会を作りだすことで「運」に対しての捉え方も変わります。短絡的には不運でも結果として幸運に繋がることも。あらゆる事柄に「運があった」「運がなかった」と決めるのは、後で良いかもしれませんね。
– 次回の開催について
12月17日(火)に妙行寺門徒会館にて。参加予約は「12月1日19時30分」より、ホームページで開始予定となります。初めての方もお気軽にお越しください。皆さまのご参加をお待ちしております。