テーマ : 夏の終わり。なぜ寂しく感じる?
日時 : 2019年8月27日(火) 19:30 – 21:00
会場 : 妙行寺門徒会館 / 鹿児島市和田1丁目4番1号

 


 

– 初参加の方も多くおられて、22名参加での哲学カフェでした。

今回のテーマ。夏の終わりを「寂しく感じない」という方も大歓迎!という告知をさせていただきました。

 

【 夏の終わり?それは寂しく感じること? 】

夏の終わり = 日の入りが早くなる。甲子園の終わり。夏休みの終わり。
寂しく思うこと = 夏休みに祖母から聞いた戦争・命について考えるとき。蝉の声が聞こえなくなったとき。(夏休みの終盤は) 子供達が宿題で忙しい?と感じるとき。

【 夏の終わりの寂しさ 】

誰もが経験した子供時代の印象に加えて、夏の間に「どのような出来事があったか」で感じ方は異なるもの。音楽やメディアを通じて作られる「夏の思い出・寂しさ」も加わるかもしれません。それこそ「ひと夏の恋」という言葉があるように。熱く燃えたけど、長く続かない恋…。

皆さんの発言から「夏の終わりは寂しい」と感じる参加者は、多くはなかったと思います。年齢や経験を重ねることで「夏」「夏の終わり」という捉え方も変化していくようです。

【 季節を問わず「寂しさ」について、掘り下げてみます 】

人間関係、個人の体力気力、環境の変化等とも関係するもの?年齢を重ねることで「以前より寂しさを感じにくいこと」が寂しい。というご意見もありました。

【 転勤勤めをされている (いた) 方も参加されていました 】

出会いや別れもあるが、新しい土地での発見・体験も魅力。自分がその場所を離れた現在も、連絡を取り合うことで長く交流が続いている。その場所を離れることは「寂しい。とは一括りにできない」とのご意見もありました。

仮に「転勤がある」といっても、苦にならない人、なる人もおられるでしょう。経験された方から「直接のご意見」が聞けることも、哲学カフェの面白さです。

【 人間のベースに「寂しさ」がある? 】

本音で会話できる人がいると、あまり寂しさを感じないかもしれない。そのような人と (新たに) 出会いにくい難しさもある。このような「対話の場を楽しみにされている」と話された方もおられました。

【 寂しいと感じたら? 】

何もしないこともできるし、前向きに考えたり、行動に移してみる。

【 寂しいことは、決して悪いことではない? 】

子供の時に感じた寂しさ、大人になっての寂しさがある。答えはありません。そして、世代で捉え方も変わるもの。時に寂しさと向き合って、乗り越える or 乗り越えない選択がある。どのように選択するか、は自分にとって大切なこと。

 

仏教で「寂」とは?司会を務めた妙行寺 副住職からは「涅槃寂静」という言葉を、分かりやすく教えていただきました。

人それぞれ、どの部分に「寂しさ」を感じるかは異なること。自分にとって寂しさを感じたとき、それは「自分の内面を見つめる、きっかけ」にもなるのではないでしょうか。皆さんの忌憚ないご意見・ご感想、ありがとうございました。

 

【 次回の哲学カフェは、10月29日(火)19時30分から 】

たにやま哲学カフェ、次回もご参加をお待ちしております!