テーマ : 医療について
日時 : 2019年4月30日(火) 19:30 – 21:00
会場 : 妙行寺門徒会館 / 鹿児島市和田1丁目4番1号

 


 

– 第5回 たにやま哲学カフェ / ご参加ありがとうございました!

医療について、皆様から沢山のお考えをいただきました。簡単にですが、振り返りをさせて頂きます。

 

【 延命医療について。良い?良くない? 】

最期を迎えるにあたり「個人の尊厳」とは?医療は発達したが、極論は誰も助けられない。全ての人間はいつか死を迎えるから。

延命治療を望む人、望まない人。誰しもが「延命を拒否している訳ではない」こと。(患者の延命意思を家族間で共有出来てない場合) 周りの家族で決定することも多く、延命するケースもあるようです。延命判断を「医師に任せる」ことは難しいことです。家族で話す時間を持つこと、最期は「どのようにしたいか」を共有する必要性を確認できました。

【 医療とは、生きたい欲求をサポートする? 】

人間の体(自然)に、反することも医療。病院で診てもらうことは「症状を良くしたい・まだ生きたい」という意思ではないでしょうか。高齢の場合には「手術して治したい」「もう自然のままがいい」など、意見も別れるようです。

医療とは、生きたい欲求をサポートすることかもしれません。これは医療のみに関わらず、個人にとっても様々な対象があると思います。

【 医療を取り巻く環境 / 人を診るか、病気を診るか? 】

医療は医師、薬剤師、看護師、療法士や技師、栄養士ほか、様々な医療従事者と患者が繋がる「患者を救うため / 症状を良くするため」のネットワーク。医師側も時間的余裕がない実情。慢性的に医師不足の病院・科もあります。患者側が不満を述べるだけではなく、私たちがもっと「医療現場の状況」を知る必要もあります。

ご家族の終末期医療を振り返って「医療スタッフの対応も非常に満足できた。幸せだった。」と話された方も。病院側と患者側が「良好な関係」であったことの証拠でもありました。医師ばかりではなく、自身の会話能力も見直してみること。円滑なコミュニケーションは「医療満足度を高めること」に影響することを認識できました。

 

私たちも「狭い世界・狭い視野」になりがちかもしれません。医療は「病院で / 薬局で」といった携わり方とは別に、私たちと医療従事者が「フラットである場所」が充実することも期待します。医療をもっと身近に。準備された環境から一歩踏み出して「外部とコミュニケーションを取ること」はとても重要なことであり、益々望まれることではないかと感じる哲学カフェとなりました。

 

【 次回の哲学カフェは、6月25日(火)19時30分から 】

テーマは、今回のキーワードとなった「コミュニケーション」です。次回まで暫くお待ちください。