テーマ : 比較って何だろう? → 差って何だろう?
日時 : 2018年12月25日(火) 19:30 – 21:00
会場 : 妙行寺門徒会館 / 鹿児島市和田1丁目4番1号

 


 

– ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。

差.. とは? 参加者で考えてみました。引き算の答えを「差」といいます。格「差」社会という言葉もあります。ここで「差」は、プラスとマイナスの面があるのではないか?に進みました。

 

【 プラスに捉えられるもの / マイナスに捉えられるもの 】

プラスに捉えられるものに「進歩に繋がる幸福」や「人類が進化」してきたこと。マイナスに捉えられるものとして「差別」「優秀な人への嫉妬」すること。

マイナスの「嫉妬」ポイントとして、急速に桁外れの資産を築いた人 (IT長者ほか) などは、非現実感 (出過ぎた杭) があり「差を認識するに値しない」「嫉妬しない」という意見もありました。

【 差は、違って当たり前? 】

同時に「差」は「プラスやマイナスの問題」ではなく、違って当たり前。人々は十人十色であり、時代、基準、個人の価値観、年齢によって「差の捉え方」が変化する。但し競争は、私達の暮らしに密接します。経済、仕事、学習、スポーツ、情報。あらゆる競争に「差」が生まれ、より高いレベルに進むことができる。差の基準を「どこに設定するか」は、中々難しそうです。

続いて「自信を持つこと or 持たないこと」が、差を感じる上でのヒントになるのではないか?という対話になりました。

自信を持つことは「与えてくれた人」がいたから。人を「積極的に褒めて、結果を伸ばした」という成功例もある。アドラーは「褒めてはいけない。優劣をつけてはいけない」という言葉を残した。ここまでの流れを纏めると「自分というものさし」から考察して「差」「違い」の2つに分けられそうです。

【 差は、主観的なもの? 】

優劣を決めたり、嫉妬があったり、やや直情的で「比較的狭い」視野を持つ。

【 違いは、客観的なもの? 】

多様性があり、嫉妬は存在しない、複数の観点が含まれた「横に広い」視野を持つ。

 

例えば「ゆとり教育」が何故上手くいかなかったというと、教師、保護者、周りの大人が受けてきた教育とは異なるため?国全体で実践するには、あまりにハードルが高すぎたから?教育の理想と現実が乖離していた、という意見もありました。

大切な部分として、ゆとり教育は「数多くの褒めるべき点もあること」も、参加者で共有しました。

差を感じる、差を生み出す社会。個性や多様性について、日本社会であまり許容されていない面も。日本の伝統や文化、人々のマナー、ホスピタリティ、治安。他にも海外から訪れる方に高く評価される点が多数あります。

しかし、私たちが親世代より影響を受けてきたこと、学んできたことは、これからの時代において「正しいこと」とは限りません。もっと良くするために。未来を生きる、子供たちの世代に向けても。私たち「大人の社会」を、いま以上に見つめ直す必要性もあるのではないでしょうか。

 

【 謙虚な姿勢・心を持つ姿勢が大切 】

人と自分に「差」をつけること。人を認めること。この行為自体が「自分優位の考えであり、傲慢ではないか」という意見もありました。私たちは、個人としても「自分が思う以上に」無知であるから。

謙虚な姿勢・心を持つ姿勢が大切であることを、改めて感じた哲学カフェになりました。

 

【 次回の哲学カフェは、2月26日(火)19時30分から 】

2月1日(金)よりフェイスブックで参加受付を開始予定です。ご参加をお待ちしています!