テーマ : 普通ってなに?
日時 : 2018年8月28日(火) 19:30 – 21:00
会場 : 妙行寺門徒会館 / 鹿児島市和田1丁目4番1号

 


 

– 初回は「普通ってなに?」をテーマにしました。

哲学カフェは「テーマの答えを出す場所」ではありませんが、様々な意見を聴いて、参加前より「ポジティブなモヤモヤ状態」になりましたでしょうか。今回を振り返ってみましたので、是非ご自宅などでも「哲学」されてください!

 

【 「普通」という言葉、どのような時に使用する? 】

1.「普通はこうするよ。」
→ どこか普通じゃない、と感じる人に会ったとき。
→ 自身は「普通」「常識」といった感覚を持ち合わせていると認識している。

2.「このお店は普通だよね。」
→ 言われたお店側はモヤモヤする。あまり嬉しくないかも。

3.「 (良い意味のニュアンスで) あなたって普通じゃないね!」
→ 褒め言葉として捉えられる。

ひとつに「普通」といっても、前後の文脈やシチュエーションで「相手を讃えたり、褒めること」もできるし、オブラートに包まれた「ネガティブな意味合い」を込める表現にも使われます。とても広義な意味合いを持ちます。

【 そもそも、普通の基準とは? 普遍的なもの? 】

次に「普通」は、どのような基準で成り立ち、認識されているか? 核心部分に入りました。

ポイントのひとつとして「10点満点の5点!と明確なものではなく《 5点前後 》が普通では?」という意見がありました。多数派・過半数という言葉も分かりやすいですね。そこで「一定数に存在する数が多ければ、普通になる?」の問いになります。

この証明は難しいもの。他にも多数の「普通」が存在します。これらを踏まえた上で「どこか自信を持てないが《 普通という共通認識 》に近いこと」に進みました。

【 普通という共通認識 】

これらを踏まえた上で「どこか自信を持てないが《 普通という共通認識 》に近いこと」に進みました。人間の心理として、暮らしの中でも「数が少ないところ or 数が多いところ。どちらに所属したい?」という選択を行う際には「数が多い所に所属したい」ということは、往々にあることかもしれません。

普通と書いて、普遍的に通じているもの。あまねく、広いもの、とも解釈できます。例えば、〇〇高校の普通科という名称は「数十年来変わらず、今後も続くであろう」もの。一方でバイクの中型免許は、時代の移り変わりで「普通二輪」という名称に変わったという意見も。中型が世間一般の「普通」になったということでしょうか。

お茶菓子として用意されたクッキーを例えに、この数日間の「普通について」を発言頂いた参加者さんも。会場も笑いあり、チョコレートのような穏やかな空気に包まれました。普通とは、時代や時間とあわせて変化することも注目です。

【 どのように「普通」が作られる? 】

幼少期に「普通」の感覚はない。人生経験を重ねる上で、様々なバックボーンを持つ他者から「普通」を享受すること。インプットとアウトプットを重ねることで、自分自身の「普通」がより確立するのかもしれない。

時として「やっぱり普通がいいよ」「皆そうしているから普通しなさい」という《 普通を求める同調圧力 》を、窮屈に感じることはないでしょうか。同調したほうが物事が上手く進むことも。ただし、同調する相手によって「感じ方が異なってくる」といった意見も興味深いものでした。

【 普通の基準は「価値観」が影響する? 】

常識 = 常の知識。普通と価値観はリンクするもの?狭いコミュニティに限定すると、価値観をベースに形成された「普通」が通用するかもしれません。狭いということは「普通」を提案することも、受け入れることも、比較的容易になるのではないでしょうか。

それでは、範囲が大きくなったり、異なるコミュニティに所属すると「普通」も変化するのでしょうか。例として「A地域に長年住む人が、価値観が異なる (と思われる..) C地域」に移った場合、A地域で培った「普通」が通じなくなる。C地域の普通を吸収せず「A地域の普通」を続けるとしたら 《 A地域から来た人は、普通じゃないよね 》という印象を持たれる可能性があるということ。

郷に入れば郷に従え、カルチャーショックという言葉もそうですよね。普通であることは、普通ではないこと。

 

人は誰一人同じではないし、人によって「普通」も違って当然かもしれません。自分と違う人に「普通はこうだから」と諭す行為は、ある種の想像力欠如を招いたり、視野の狭さを押し付ける行為が含まれていることも。

普通とは、存在するけど明確には見えないもの。普通とは、老若男女、経験や教養、専門知識、社会的地位などを問わず、誰でも納得できる範囲のもの。普通とは、正解とは言い切れないもの。普通ではないことが、優れた結果に繋がることも多数あること。

毎日の新しい「普通」に数多く出会うことによって、相互理解が深められたり、希望が生まれたり。暮らしやすい社会のきっかけになる。これからも「普通について問う時間」を大切にしていきたいと思います。

 

【 次回の哲学カフェは、次回は10月30日(火)19時30分から 】

テーマの発表、参加受付などは、10月1日(月)にフェイスブックで発表予定です。