テーマ : なぜ人は叱るのか?
日時 : 2022年10月25日(火) 19:30 – 21:00
会場 : 妙行寺門徒会館 / 鹿児島市和田1丁目4番1号

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村中直人さんの書籍「叱る依存がとまらない」に着目した開催となりました。進行担当は特別ゲストとして、妙行寺さんで「こども哲学カフェ」を開催されるAさんにお願いさせていただき、対話の要点を得た「上手すぎる進行」となりました。

日常で「叱ること」は多いですか。仮に叱られた時には「嫌だ」「嬉しい」「できない」「次は失敗しない」「前向きに行こう」など、どのような感情が生まれるでしょうか。

ある方は「以前は叱ることも多かったが、経験と価値観の変化で叱ることは少なくなった」とのことです。叱る行為の根本は、相手の成長を期待したもの。叱った結果が 上手くいく / 上手くいかなかった としても、叱られた側が所属する会社や組織はもとより、叱った側にも影響する。そもそも「叱る」ことは、人前で行うことか、1対1であるか。冷静に諭すように叱るか…多くは叱る側の立場が「絶対的」な存在として、時に押し付けが強すぎたり、時に理不尽に感じたり、中には「怒りを爆発させる」こともある。叱ると言う行為は、気持ちの良いものではないことも確かにあります。

こどもを叱るという行為は?対話の中で「こどもは大人の想像とは全く別の理解をしていた!」という日常の発見もあって、一層モヤモヤとしてきた頭の中。叱ることはポジティブな部分もあります。

叱ることは攻撃的?叱るの根本には愛情?信頼関係?他人に何かを教えること、企業にアドバイスすることをお仕事としている方もいました。実体験をもとにした叱る・注意することの違い、これらに伴う悩みなどもあるようです。人間同士であることから、どうしてもお互いにエネルギーを使います。繰り返しになりますが、叱責や怒りになると「相手」への感情面が強くなる。相手の言動や人格を否定することで修復不能になることもあります。

叱られる側は「どこで」意図に気付くものでしょうか。叱られた瞬間?少し成長できたと思ったとき?数年以上が経過して「前に叱られた通りだった」と気付くかもしれません。叱る側は相手の状況を十分に理解して、自分も一緒に行動する、一緒に試行錯誤する。お互いの前向きなイメージが一歩ずつ「信頼」を築けるかもしれません。

叱ることは「相手を諭すこと」「相手を褒めること」 とも共通しそうです。私たちが過去を含めて「叱った経験」があるとしたら、大切な相手にしっかりと届いたのでしょうか。日頃からお互いに納得できる、向き合えることが大切であることも改めて思った哲学カフェでした。

 

– 次回の開催について

12月20日(火)に、妙行寺門徒会館にて予定しております。12月1日にたにやま哲学カフェのホームページでお知らせさせていただきます。是非皆様のご参加をお待ちしております。