テーマ : 究極の選択 〜 二つの思考実験から 〜
日時 : 2020年10月27日(火) 19:30 – 21:00
会場 : 妙行寺門徒会館 / 鹿児島市和田1丁目4番1号

 


 

– トロッコ問題。ある人を助けるため、他の人を犠牲にするのは許される?

開催の模様は、YouTube「寺猫ちょびちゃんねる」にて公開しております。是非ご覧くださると嬉しいです。
https://www.youtube.com/watch?v=4tGyMPTbX10

まずは、以下の動画をご覧ください。こちらに「2つの問い」があります。
*動画は、たにやま哲学カフェとは一切関係がありません。

 

 

【 第1の問い 】

線路を走るトロッコは制御不能。このままでは、前方で作業中の5人全員が命を失う。あなたはレールのポイントに立っていた。もう片方のレール上では1人が作業をしている。5人を助けるために「ポイントを切り替えて」1人を殺す判断をしますか?

答えは YES か NO のみ。他に考えられる助ける術は「一切なし」とします。

ここでは「何もしない」というご意見から進みました。但し5人が命を落とすことで、個人では抱えきれない罪悪感が生まれることも。自己犠牲的に「自分もこの中に飛び込みたい気持ち」という方。そして「5人の命。背景の家族や友人など苦しむ人の数を考えると.. 切り替えるかもしれない」という方もおられました。

他にも「いずれかのレール上に家族や大切な人がいた場合などは、切り替えるかもしれない..」 ほか、対話を重ねていきます。一概には言えませんが、欧米だと「切り替える / 5人が助かった方がいい」という考えも多くあるようです。

 

【 第2の問い / 結果は全く同じでも… 】

私は線路上にある橋に立っている。横に体重のある大柄の男がいる。あなたが「男を線路上に落とす」ことでトロッコは確実に止まり5人は助かります。そして男が命を落としてしまう。あなたはこの男を落として、トロッコを止めますか?

第一の問いと比べて、心理的なハードルが上がりました。第一の問いは「ポイントを切り替えて」1名を死亡させる、今回は「人を落として」1名を死亡させてしまいます。

こちらも「男は落とすことはできない」というご意見が占めます。男に「何かしらのやむを得ない理由」があり、落とす判断をしたケースでも「自分が直接的に人を殺した 」という事実に悩み続けること。こちらは欧米だと「落とすことはありえない」という考えが多くあるようです。

意見を広げるのであれば… という条件で「君が落ちると5人が助かるけど、どうする?」と、男に判断を任せたい というご意見もありました。仮に死亡させた罪に一切問われないとしても..  その事実は生涯にわたり、心に強く存在し続けるのではないでしょうか。

ある人を助けるため、他の人を犠牲にする。純粋な「助ける人数」に価値を求めることが正しいこと?結果は同じでも「状況や過程で、心情や道徳心も変わる」こと。改めて自分を問う時間で、今回もモヤモヤをお持ち帰り頂きました。皆さま、ありがとうございました!